たかはしの打豆(打ち豆)のあゆみ

~打豆ともに~
「たかはしの打豆(打ち豆)」半世紀のあゆみ

朝市から現在の「たかはしの打豆」まで

たかはしの打豆(うちまめ)は、昭和30年、初代 高橋富夫がそれまで家庭で行われていた打豆(うちまめ)の製造加工を手掛けたのが最初でした。
当時は手作りの円錐の紙袋に入れ、一つ一つ上に赤いラベルを貼って、福井の朝市(昔は福井市田原町に朝市がありました)に出していました。
ビニール製品の普及など時代が進むにつれて、紙袋から四角いビニール袋の梱包へ、そして機械による梱包へと現在は形を変えています。

名称も「特製打豆」→「福井の味打豆」→「福井の味 たかはしの打豆」へと50年の時代を経て統一されました。

昭和30年創業

昭和30年、打豆の製造加工を手掛けて創業

石臼での製法をそのまま再現

昔は農家には皆石臼があり、日々の穀物は石臼をつかってひいたり、つぶしたりしていました。食卓にはそうやって各家庭で作られたものが並んでいたものです。
その石臼での製法を、「たかはしの打豆」はそのまま再現しています。

また、単に再現するだけでなく、毎日の食事に使いやすいように、長年の工法の改良で、綺麗に形よくつぶれ、それでいてある程度の硬さも持ち合わせるように作っています。
形よくつぶすのは大変至難の業で、大豆をつぶすと通常は割れてしまいます。
この部分は長年の改良・研究の末、出来上がった製法です。

石臼での製法

石臼での製法を「たかはしの打豆」はそのまま再現しています

機械化の今も、ひと手間をあえて残しています

作業工程は、機械化できるところは機械化し、大事な部分は手作業のまま残しています。
機械化によって効率があがり、雑菌も入りにくくなり、衛生の向上にもなりました。

ただ、機械化の今も、選別については「手より(手選別)」によるひと手間をあえて加えています。
傷や豆の状態をチェックするのは機械だけでは不完全で、細かいチェックは人間の目のほうが正確だからです。
あえてひと手間、人の目と手で選別を行うことで、大豆の高い品質を維持しています。

手選別

機械での選別にかけたあと、さらにひと手間入れます